スーパー銭湯で株のことを考える。
結局株のことを考えてしまうわけだが、癒しは癒しだ。
元々好きなのだが、スーパー銭湯に来たのは2月末に引越してきてのこの地では初めてのことだ。
前回のお話はこちらです
第67話 GW暴走スイング
2016年4月の終盤から不安定な大荒れ相場。 その荒波をなんとか乗りこなしながら資金はここ3年でピーク状態。 当然ポジション合計金額もここ3年でMAX金額の大暴走モード。 3度目の億も射程圏内の5月が ...
引越しを機に株オフ会に
2年間住んだ埼玉県大宮から、この2016年2月末に千葉県浦安に引越してきていた。
1年半前から一緒に住んでいる彼女の転職がきっかけでの引越しだった。
専業トレーダーはどこにいてもできる。
北海道でも、沖縄でも、海外だって、いつでも引越せる用意があると言ってもいい。
胸を張って言えるこの職業のメリットだ。
埼玉県大宮も自分で選んで住んだ割には近くに友人はほとんど住んでいなかった。
多少遠くても飲みに誘ってくれてた友人たちはとっくに結婚してしまいその後は半年に1度程度誘われるくらい。
しかしたまたま後から近所に昔からの年下の友人が引越してきた。
たまたま同じ大学の後輩で、野球という共通の趣味がありガチなキャッチボールをしたこともあった。
彼は就活中のニートでお姉さんの家に転がり込んできたらしかった。
彼はとても暇人。俺も15時を過ぎれば自由な時間が豊富。超近所。
週に1回以上のペースで彼が俺の家に来て野球ゲームをやっていた。
株の話をしても金ないしと興味は無さそうだった。
しかし俺が大宮を去った後彼は地元の山口県に帰り立派に就職したらしい。
もう一人だけ2駅隣に住んでいるこちらも年下の男友達がいて、よく俺に会いに来て飲みに行く友達がいた。
俺に株のことを質問してきたからイナゴトレードを教えてあげた。
彼は30万円を入金し、数日間イナゴトレードで資金を増やすことに成功したが、その後株に少しのめり込み自分なりのトレードをやるようになったところで負け始めた。
彼がすごかったのは早い段階で「自分には向いていない、このままやっていたら永遠に金を捨て続けることになる」と株をやめたことだ。
生半可な気持ちで株をやり続けたら本当にお金をドブに捨て続けるのと同じだ。
2012年までの俺はほとんどそれを続けてしまったし、2013年以降だってそういう時期がいくらでもある。
こんな厳しい世界、気軽に人にオススメできるものではない。
最初に興味を持ってきかれた時にもちろんその話はしてあげたのだが、結果論だけどもっと強く止めてあげればよかった。
少なくとも株が簡単に思えてしまうようなイナゴトレードなんて教えるんじゃなかった。
その友人はその後もたまに会う関係が続いている。
地元からもまあまあ遠く離れた土地で、この2人以外の友人と会う機会はほとんどなかった。
なぜ大宮なんかに住んだのだろうと思ったこともあった。。
しかし引越し先の千葉県浦安はさらに友達がいなかった。
そして地元や実家に帰るにも遠くなった。
元々株ができれば人生満足で住むのはどこでも良いし別に友達と会いづらくても文句はない。
とはいえしかしそれなりに飲みに行ったり遊びに行ったりはフットワークが軽いタイプだ。
誘われれば基本断らないし、参加したら人並み以上にテンションは上がる。
そんな俺がこの新たな浦安の地でハマったのは株のオフ会だった。
3月末に10人くらいのちょっとアウェイな株オフ会に参加した話は以前書いた。
それは自分の中でとても良い体験になった。
3月末の停滞期から復活した一つのきっかけだったし、その後もツイッターでの株の人達との交流を自分から積極的に取っていくことにしていた。
その中で、株の話をするDMグループのメンバー募集というツイートに応募リプライをし、DMグループに入れてもらったのがその後のオフ会生活の大きなきっかけとなった。
その時やり取りさせてもらった人がたまたま俺の住んでるところから割と近所の電車一本で行けるところに住んでいた。
その人は株の人脈をすごい勢いで構築中のようで、小さな飲み会から大きな面白い企画のオフ会までたくさん開催していて、俺のことも色々な会に誘ってくれた。
誘ってもらった会のほぼ全てにありがたく参加させていただき、株の仲間・株の先輩後輩がたくさんでき、交流を持たせていただくことができた。
俺のハイボラな資産推移を紹介してもらったりして、いわゆる株芸人のような感じで色々な人に可愛がってもらえた。
最初にきっかけを作ってくれた電車一本の近所の人に感謝、その後色々誘ってくれるようになった方々にも感謝、仲良くなってくれた人達全員に感謝だ。
刺激をもらえ、モチベーションはアップし、その後の株トレードに良い影響を与えたことに間違いないだろう。
オフ会で仲良くなった人たちと一緒に株の大きな会にも3つぐらい参加した。
30人くらいの会、50人くらいの会、100人くらいの会。
年齢は俺よりかなり上の大先輩方が多く、普段の株のオフ会とはなかなか趣が違う会だった。
その後も多種多様な株の集まりに参加させていただいた。
株に関するニュースを分担して調べるグループだったり、株の勉強会のようなものにも参加させてもらった。
全てはこの浦安に引越してきたことがきっかけだった。
きっかけを作ってくれた彼女にこそ一番感謝しなければいけないのかもしれない。