専業トレーダー実現に向けて一気にいろんなものが動き出していたが、一番大事なものもついに大きな動きを見せた。
株トレードのことだ。2年半もの長い間負け続けるだけのスイングトレードだったが、2008年後半になり初めて大きく勝つことができたのだ。
専業になれば勝てると自信を持って思い込んでいた俺だったが、仕事をしながらの勝利はより一層株への自信を深めることになった。
前回のお話はこちらです
第10話 専業株トレーダーに向けて動き出す
2008年3月 就職から約2年が経とうとしていた。 仕事において大きな転機を迎えることになる。 群馬への転勤だった。 これは結果的に俺が専業トレーダーになった4つの理由のうちの1つだった。 前回のお話 ...
輝いた順張りスイング
散々俺を苦しめた順張り脳だったが、この時ばかりは面白いように機能した。
それ以前と以降で全く違う勝負をしているようだった。
2007年に空売りに出会って実践していたことも大きな経験になっていたと言えた。
2008年後半頃からの株式市場は右肩下がりの相場だった。
金融危機が起きていて、サブプライムローンという言葉は毎晩のようにニュースでやっていた。
俺は持前の順張り脳を全開に活用し、いろんな銘柄で空売りを行いスイングでホールドした。
この頃は銘柄を分散していた。8銘柄ぐらいに信用余力を分散して持っていた。
ストップ高あと追い投資法の時は、上がっている理由を調べるべきだったが、今回は下がっている理由を調べる必要はなかった。
どの銘柄も基本的には下がるからだ。
全体的にほぼ全ての銘柄が下げる地合いだったのだ。下げ相場、下げ地合いだったのだ。
相変わらず給料もボーナスもつぎ込んでいた。ボーナスが入る前には兄や親にお金を借りて株に入れることもあった。
減らしては継ぎ足しの繰り返しだった俺のMAXの資金は200万円もなかった。
それが2008年9月にリーマンショックを迎え、俺のピークとなった10月31日までに一気に400万円まで増えたのだ。
ピークに近づくと1日に数十万円を稼げる日もあった。
当時の手取り月給の以上のお金を1日で稼ぐ。
株を始めた当初のイメージがやっと現実のものとなりつつあった。
専業トレーダーになることへの自信を深め、専業トレーダーになる決意が固まったのは言うまでもない。
10月31日のピークの翌日、100万円以上の損失を出し、その翌日も数十万円以上の大敗となった。
長い大きな下げの波の後の急激な大きな上げの波で一気にやられてしまったのだ。
しかしそれは自信を失うことにはならなかった。
専業トレーダーになっていればその負けは防げたのではないかと考えたからだ。
会社を辞めて専業になる方向に固まっていた気持ちを揺るがすことはもはや不可能だった。
全てのことが固まった気持ちをさらに固めていくだけだった。
結局順張り脳が輝いたのはその時だけであり、その後も専業になるまでにはまた資金を溶かしていくことになる。
しかし俺にとってこのたった1回のわずかな間の勝利の経験が充分なものとなった。
世の中も会社内も不景気で未来の雲行きが怪しくなる中、俺だけが明るい未来でいっぱいだった。
そんな中、2009年に入ると例のジャイアン上司にも変化が生まれた。
上司の中で転勤が濃厚になったようだった。いわゆる栄転だった。
ジャイアンといえど血の通った人間だ。
部下との残りの日々を名残惜しむように性格が丸くなっていった。
散々ストレスをかけられ萎縮しっ放しの日々だったが、転勤前も含めて、会社の人間に株の話を一番深くしていた相手は実はこの上司だった。
なぜならこの上司も株をやっていたからだ。
中国株に長期投資というやり方だったため俺とは全くスタイルが違っていたが、お金の使い道の話題などで俺がポロっと株の話をしたことがきっかけで上司とは株の話をよくしていた。
歴史的下げ相場を迎え今後どうなるのかなどと語り合ったりもした。
上司の転勤が決まると、俺はついに上司に専業株トレーダーになるために会社を辞めるということを相談した。
会社を辞めようと思ったきっかけの1つは間違いなくこの上司だったのだが、この上司が転勤になりお別れできることが決まった頃には他のきっかけも重なり決意は固まっていた。
上司の性格が丸くなっていたことや株のことを話していたということもあったが、相談したのは上司が3月に転勤する直後には会社を辞めようと思っていたからだった。
4月、6月、12月の年3回ボーナスが出る会社だったため、6月のボーナス直前に辞めるのはもったいないし直後に辞めるのは忍びない、いや許されるのか不安だった。
とはいえ4月のボーナスももらわずに辞めるには専業トレーダーとして生きていくための資金が心もとない。
4月のボーナスだけはもらって辞めたかったので、そのあたりも含めて恐る恐る上司に相談してみた。
丸くなった上司は優しかった。
絶対に6月のボーナスをもらって辞めろと助言してくれた。
そして確実にもらうためにまだ辞めることは言わずにこのタイミングで言えというアドバイスもくれて、上司は聞いてなかったことにすると言ってくれた。
俺は上司のアドバイス通りに動き、無事専業トレーダーへの道を進むのだった。