順張りスイング投資で給料を溶かし続ける日々は続いた。
そしてそれは月々の給料だけにはとどまらなかった。
給料の良い会社に入ったはずの俺がなぜこんなにお金に苦しむことになるのか。
全ては株のせい。と思いきや同じ営業所の2人の同期は俺よりもさらにお金がなかった。
そんな環境が、さらに俺を安心して株にのめり込ませたのだろう。
前回のお話はこちらです
第8話 負け続けの軌道に乗る
損失を出し続けても自分の方向性は正しいと信じてトライアンドエラーの日々が続く。 株の初心者には必要な期間かもしれない。必ず通る道かもしれない。 しかし俺がやっていた手法はあまりにもリスクが大きすぎた。 ...
ボーナスも株へ直行
同じ営業所に配属された同期の2人。
体育会系ノリの縦社会に厳しい営業所の中で同期2人の存在は大きな心の支えだった。
当然仲も良く、よく夕食を共にしていた。
冬の12月に入るころはボーナスの話が話題の中心だった。
しかし2人はボーナスが入るのを楽しみにしているというよりは、ボーナスがいくら入るのかを心配している様子だった。
1人は大型の国産車、もう1人は大型の外車をローンで買っていてボーナス時は多額を支払うシステムになっているというのは以前から聞いていた。
しかしそれでもボーナスは多く残るはずで、数か月前には楽しみだという話をみんなでしていたのに一体どうしたのか。
話を聞くと、2人とも同じだった。そしてさらには1つ上の先輩も全く同じ状況という話だった。
社会人になって大金の給料をもらうようになり金銭感覚がおかしくなってしまったことが原因でカードキャッシングが癖になってしまったらしい。
付き合っている彼女に対してサービスをしすぎてしまったり、夜のお店で調子に乗って使いすぎてしまったり。
いずれにしても常にお金を使いすぎてしまい、毎月支払い額の方が給料よりオーバーしてしまいボーナスで清算するというのだ。
同期2人はボーナス自体が初めてのことだが、1つ上の先輩はこのパターンがずっと続いているらしい。
実は俺にも大学生時代から3年くらい付き合っている彼女がいた。
しかし俺自身が株以外にお金を使わず質素な生活をしていたためか不満や要求もなく、誕生日やクリスマスに高価な物を買ってあげることもなかった。
また、縦社会とはいえ先輩に付き合わなければいけない空気はなく、というか同期がその役をやってくれていたおかげで俺は許されている雰囲気だった。
とにかくお金を全く使わなかったのだ。
利便性を考えての安い車すら買っていなかった。
本当に給料の使い道は株しかなかったのだ。
給料を全部株につぎ込んでしまい、つぎ込むだけならいいが、負け続きで全てを溶かしてしまっていた俺。
いつか勝ち組になってやるという野望や闘争心だけは死んでいなかったが、これでいいのかという気持ちは常にあった。
株さえやっていなければ、株にさえ出会っていなければ貯金もたくさんできていただろうに。
しかしそんな気持ちを払拭させてくれるのが同期2人や先輩のお金事情の話だった。
そして今回もその流れからボーナスをほぼ全て株に入れてしまうのだった。
これをきっかけにして俺の株の泥沼状態はさらに悪化していくことになる。
給料を株に垂れ流す生活から、ボーナスまで入れてしまった。
60万円以上のお金を株口座に入れてしまった。
当然、今まで扱っていた株資金の最大額より大きな額を運用することになる。
それが一層感覚を狂わせた。
買ったり売ったりする金額が大きくなれば当然勝った時の金額も大きくなる。
今まで積み重ねてきた負けを一気に取り返すチャンスだった。
当然そのつもりでボーナスを入れたのは言うまでもない。
しかしそれと同時に当然負けた時の金額も大きくなる。
ボーナスを株口座に入れる前から泥沼への入り口になる予感は充分あった。
勝ち組への糸口すら見つからない負け続けトレーダーの俺の結果は明らかだった。
案の定、今までよりも大きい負けを経験することになった。
そのことが引くに引けない闘いをまた一歩前進させた。
もう引き返すことなどできない。
決して意地だけではなく、勝ち組になれるよう勉強は重ねていた。
違う本を読んだりブログを読んだり、そこからいろんな銘柄のチャートなども見た。
当然実践も続けた。勉強したことはすぐに試した。
損失と追加入金の無限ループも当然のように続いた。
その中で空売りに出会うこともできた。
空売りは新鮮さをもたらしてくれたが、手法的にも成績的にも劇的に変化したわけではなかった。
せっかく新しいものに出会ったのに、順張り脳を変えることはできなかったのだ。
下げトレンドでの銘柄を探してさらに下げることを予想して順張りで空売りをした。
ただ当時の地合いもあったのだろうが、買いの順張りよりも空売りの順張りの方がやりやすさはあった。
右肩上がりに上がっていく銘柄はほとんど見当たらなかったが右肩下がりに毎日のように安値を更新していく銘柄は多々見つかったのだ。
しかし3連続ストップ高で追証地獄を食らうなど相変わらずの大負けもあり、買いも空売りどちらの方が良いのかわからず両方やっていた。
買いにしても売りにしても順張りトレードというのと負け続けるというのだけは2008年後半まで一貫していた。
仕事の方では2008年の3月に大きな転機を迎えた。
これが専業トレーダーになる1つの大きなきっかけになる。