2008年3月
就職から約2年が経とうとしていた。
仕事において大きな転機を迎えることになる。
群馬への転勤だった。
これは結果的に俺が専業トレーダーになった4つの理由のうちの1つだった。
前回のお話はこちらです
第9話 新卒社会人のお金事情
順張りスイング投資で給料を溶かし続ける日々は続いた。 そしてそれは月々の給料だけにはとどまらなかった。 給料の良い会社に入ったはずの俺がなぜこんなにお金に苦しむことになるのか。 全ては株のせい。と思い ...
専業トレーダー実現の4つの要因
転勤前からもともと専業トレーダーへの思いは強かった。
株を始めた当初から株で絶対成功するという気持ちは持ち続けていた。
また、最初のGWでのデイトレードで勝てたのを筆頭に、その後も長期休暇の時にはデイトレをやっていた。
そのたびに専業になれば勝てるはず、俺は必ず将来専業トレーダーになる、という思いを強くしていた。
2008年の夏休みには付き合って4年半の彼女と1泊で海に行く約束をしていたが株が終わった15時過ぎに出発し、翌朝はどうしてもと彼女にお願いをして9時前に家に着くように出発して帰ってきた。
なんというクズ人間、クズ男だろう。
それくらい年に数回のデイトレードのチャンスに賭けていた。
転勤の少し前には、その彼女から結婚したいという話もあった。
しかし俺は明確な理由を持って断ることになった。
「俺はいつか近い将来、会社を辞めて専業株トレーダーに挑戦する。結婚した後にそれはできないからしばらくは結婚できない」
それくらい堅い決心はあったものの、ではいつまで仕事を続けていつ専業トレーダーになるのかの明確なビジョンは持っていなかった。
しかし2008年3月の転勤の時期から専業に向けて大きく動き始めるのだった。
まずは上司の存在だ。
埼玉での2年間は上司に恵まれた。
確かに元々は怖い上司だったのかもしれないが、営業所の先輩達にも尊敬されて慕われていた。
俺が転勤のタイミングでその上司も別のところに転勤になったのだが、最後は営業所の成績も俺個人の成績もとても良く有終の美を飾ることができた。
しかし転勤先の群馬の営業所の上司は、部下全員から嫌われている存在だった。
上司は要領が良く、若くして出世していた。仕事も早く終わらせ、責任者の立場にありながら部署の誰よりも早く帰る日も多かった。
上司が早く帰った後の営業所は別世界のように雰囲気が明るくなった。
群馬の営業所での一番の思い出はその瞬間の空気と言っても過言ではない。
上司に対し、仕事上の不満も俺含め各自抱えていたが、何よりも人間性だった。
典型的なジャイアンだった。みんなペコペコ従うしかなかった。
こんな上司の下で働くのは苦痛でしかなかった。いかに今までが恵まれていたかを痛感した。
こんな環境で働き続けるくらいなら今すぐにでも専業株トレーダーになりたいと思った。
しかしこの上司もまた1年後の3月に転勤になる可能性が高いという噂があった。
同僚のみんなもあと1年というモチベーションで一生懸命耐えているようだった。
専業実現の2つ目の理由は、4年半付き合った彼女と別れたことだった。
俺が転勤で群馬に引越したことにより少し遠距離になったこと。
彼女も仕事が大変で忙しくなっていたこと。
夏休みのひどい対応も原因だったのだろうか・・・。
いずれにしても俺が振られるような形で別れることになった。
夏休みのわがままを筆頭に散々俺に合わせて尽くしてくれた彼女だったのに。
こんな俺に結婚したいと真剣に何度も言ってくれたのに。
株にさえ出会わなければ・・・。
そんなことを思いながらも後悔している暇はなかった。
前を向かなければならなかった。
同じ理由で今後付き合う彼女とも結婚できないならば早く専業トレーダーに挑戦しなくては。
彼女との別れは専業トレーダー挑戦へ背中を押すことになった。
3つ目の理由はリーマンショック前後の不景気だ。
工場を中心とする法人営業の仕事だったが、2008年後半から徐々に倒産する会社なども出始め、2009年は客先である工場は週2日稼働など、海外向けの製品に絡む会社などを中心に急激な不景気状態に陥っていた。
高給の会社という話は以前出したが、2年目の2007年の年収は850万円、3年目の2008年の年収は1050万円になっていたのだが、会社の業績に連動する一面もあった。
リーマンショック前後の不景気を受け、家賃を引いた手取り給料が14万円程度になっていた。
市民税の天引きの影響もあるが、一時期35万円近くだった手取り給料が14万円に。
しかも友達もいない群馬。彼女とも別れてしまった。
俺は何のためにここにいて何のためにこの仕事を続けているのだろうか。
今の不景気の状況は一時的なことだろうとは誰もが言っていた。
しかし俺はいつかは必ず会社を辞めてトレーダーになると決めていたのだ。
今のこのタイミング以外に辞めるべきタイミングが今後あるのだろうか。
4つ目の理由もリーマンショックだった。
先程の話は仕事での話だが、今度は株の話だ。
いくら他の理由が重なったとしても株での成功に自信が持てないのなら挑戦していなかっただろう。
株デビューから負け続きの俺だったが、兼業トレーダー時代唯一輝いていた時期が存在する。
それが2008年後半からのサブプライムローン~リーマンショックの時期だった。
順張り脳が報われる貴重な瞬間が訪れたのだった。